フジスタッフィングホームページ|(6)漫画 「新九郎、奔る!」

  漫画

 「新九郎、奔る!」ゆうきまさみ

  1〜8巻

「新九郎、奔る!」ゆうきまさみ

 応仁の乱から戦国時代への

 変遷期を描いています。

 以前に読んだときは、

 知識不足でよくわかりませんでした。

 最近は室町期の三重県を

 調べていて、

 応仁の乱に関して、中央の情勢が

 よくわからなかったので

 再度、本書を読んでみました。

 細川家と山名家の闘争を中心に

 伊勢家を描いております。

 斯波武衛家については、

 右下の小さなコマに

 重要な内容が描かれてます。

 特に1巻〜3巻はじっくりと

 読まないと理解が難しい。

 7巻あたりまでは

 越前・伊賀・美濃・尾張・伊勢・遠江などは

 ほぼスルーされています。

 非常に面白い題材なので

 じっくりと読むことをお勧めします。

 室町幕府の仲裁が揉める内容である点を

 不思議に思っていました。

 本書は、

 京都を中心とした視点で

 応仁の乱を

 描いており、京都の最前線から 

 後方かく乱させるために、

 各地方が揉める火種を

 幕府の仲裁というカタチで

 バラまいたという見解を

 展開しています。

 なるほどと感心しました。

 そりゃ炎上しますよね。

朝倉と織田が仲が悪い理由

 「新九郎、奔る!」とは別の話をします。

 朝倉と織田が仲が悪い理由

 戦国時代に朝倉義景は織田信長を

 徹底的に敵視しています。

 織田信長も同様です。

 実は、

 朝倉家も織田家も同じ釜の飯を

 食べる仲でした。

 両家共に

 斯波武衛家の家臣です。

 守護代の家柄としての序列は、

 (1)甲斐家(2)織田家(3)朝倉家

 となります。

 斯波武衛家の領地は

 越前国、尾張国、遠江国の3国です。

 本家は越前国です。

 織田家はもともと越前の出身なのです。

 もとは一緒というのは、

 非常に厄介で元鞘になりにくいのです。

 内紛がイチバン熾烈になるパターン。

 朝倉家は

 応仁の乱で、主家から離脱して

 西軍から東軍に寝返り、

 斯波家本国である越前の守護になります。

 序列1位の甲斐家は朝倉家に敗れて、

 遠江の守護代となります。

 斯波武衛家から、いち抜けた!!と

 下剋上した朝倉家。

 朝倉義景は室町時代の中で

 先進的な家で育ちました。

 一方、織田信長の出自は、

 織田弾正忠家です。

 守護代が織田伊勢守家であり、

 又守護代が織田大和守家です。

 織田大和守家の家臣である三奉行が

 織田因幡守家 織田藤左衛門家、

 織田弾正忠家です。

 会社の役職で例えるとこんな感じです。

 守護が部長、守護代が課長、

 又守護が係長、奉行は主任の感じです。

 織田信長が家督相続した時は

 朝倉義景は部長で、

 織田信長は支店の主任くらいです。

 信長は織田氏の代表でもない。

 そして、朝倉が追い出した斯波氏の面倒を

 織田氏が引き継いでいます。

 朝倉家からすると、まだ守護がいるの〜?

 織田家は古くてダサいな。

 さらに、

 朝倉義景は、足利将軍家を援けて、管領代となると

 もはや社長になった気分です。

 説明の役職を追加すると、

 管領は社長であり、

 将軍は名誉会長かな。

 まさに朝倉義景の代が朝倉家のピークとなります。

 その時に織田信長はようやく課長くらいかな・・・。

 ある日、足利義昭会長が「今までありがとね。」と

 書き置きをして、尾張支店へ失踪します。

 足利義昭会長は、信長課長を部長職に就けて

 いろいろと因縁をつけてくる感じです。

 朝倉社長からすると

 ご隠居の足利会長がチョロチョロするのも

 すごく鬱陶しいです。

 浅井家という仕入先にも手を出してくる。

 まぁいろいろと仕掛けてきます。

 あまりにも鬱陶しいので

 浅井家に圧力をかけて

 金ヶ崎崩れを起こします。

 本気を出せば、簡単に織田なんか倒せます。
 
 信長が京都に逃げて、トドメを刺そうとすると

 株主に相当する正親町天皇から停戦の勅令がきます。

 まさか株主総会で議案を否決されるとは・・・。

 信長は株主を意識した結果、

 足利義昭が不要であることに

 気が付きます。



 朝倉義景の主観、

 たかが支店の部長が名ばかり会長を利用して、

 社長の俺に逆らってきた。

 取締役会で部長の任を解いたら、

 株主を動かして、株主総会で解任を否決された。

 マジムカつく部下です。


 織田信長からの主観

 朝倉は本部みたいに偉そうにしやがって、

 もう関係ないだろう。

 騙し討ちみたいなことも・・・。
 
 朝倉のものは全てとりあげてやる!!

 とにかく嫌い!!



 結果
 
 虐げられていた織田の方が

 恨みが強い。

 旧斯波武衛家の領土は

 織田方(松平も含む)が占領した。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

 朝倉滅びて、一乗谷も灰燼に帰す

 

戦国時代と一揆

 一揆について


 室町時代までのいくさは、

 特権階級の争いです。

 応仁の乱なんて、

 庶民からすると

 どうでもいいのです。

 長男や次男のどちらが勝とうが、

 庶民には変わらないのです。

 戦に負けても、

 身代金などの為に

 捕虜にして

 案外殺されない。

 人数も2万人とか言うが、

 まあ2千人くらいじゃないの。

 手勢1000人居れば、ある程度は勝てます。

 しかし、一揆は違います。

 とにかくヤバい。

 殺して剥ぎ取る。

 憎くて皆殺し。

 命よりも大切なもの(教義)に従う。

 一揆は

 数も3,000人とか普通にいるでしょう。

 戦国時代では一向一揆が有名です。

 朝倉孝景に対抗する為に蓮如上人が

 越前に下向します。

 朝倉孝景は戦国大名の先駆けなので

 普通は対抗なんてできません。

 しかし、

 蓮如上人は越前吉崎に御坊を建立し、

 寺社領が横領されないように

 発展させます。

 また、となりの加賀に進出して守護に勝利して、

 国盗りをする。

 その前に三河に本宗寺を建立して、

 後の徳川家康は三河の一向一揆に家中が

 分断される大騒動になります。

 蓮如上人の魅力は尋常ではないのでしょう。

 蓮如上人の一向一揆に対抗する為には

 守護も大名となり、

 数で対抗しなければ、

 勝てない状況となります。



 民衆のチカラに対抗する為に

 武士も変わる必要が出てきました。

 戦国時代とは、武士が

 民衆(足軽)の力を取り入れる時代と言えます。

 戦国時代の終了は、

 民衆の戦闘力を削いで、

 支配階層が再び権力と武力を

 合一した刀狩りなのかな。

 伊勢の中南勢地区では一向一揆はありません。

 一向一揆の源である布教者蓮如上人が

 真宗同門により伊勢を追い払われています。

 専修寺真宗高田派真慧上人です。

 真宗高田派の末寺を大谷派蓮如上人が

 引き抜いたので

 真宗高田派真慧上人が

 大クレームをしました。

 その結果、蓮如上人も

 伊勢から離れることになりました。

 このことを

 大谷派蓮如上人側では、

 寛正の法難と呼んでいるようです。

 宗教関係の事を記載しておりますので、

 宗教関係の偉人には上人の敬称を付けております。

 どちらかを非難するとかの意はございません。

宗教関係で神の存在について、

 日系ブラジル人との話で

 なるほどと思った事があります。

 彼はハンバーガーを食べながら、

 「今日は肉を食べたらダメな日です。」

 と言っているユルい感じの信仰レベルでした。

 内心、ミンチ肉はセーフなのかと思いました。

 その彼が、「日本人はおかしい。」と言います。

 神様が世界を作ったということを信じていない人が多い。

 そのくせ、

 「小さい豆粒」が爆発して宇宙が出来たことを信じている。

 ビッグバンを信じることと、神を信じることは

 変わらないと言われた。

 確かに両方とも突拍子もないことです。

 この世界が出来たことメカニズム?は、

 想像の範疇でしかない。再現可能ではない。

 あぁ、私は科学という宗教を信じているのかと

 感じました。

 ビッグバンのような「つまずきの石」を

 信じていただけと・・・。



美濃の斎藤氏

 織田信長の正室

 濃姫(帰蝶姫)が

 美濃のマムシこと

 斎藤道三の娘であるのは、

 有名ですよね。

 斎藤道三も下剋上で美濃を

 乗っ取り、土岐氏を

 追い払ったのも

 有名です。

 この道三は、

 主家の苗字に

 改名を繰り返しています。

 松波→西村→長井→斎藤

 土岐氏を追い払っても、

 土岐氏を名乗りません。

 斎藤道三なのです。

 面白いことに、

 息子の義龍も改名しますが、

 土岐氏を名乗らずに、

 一色氏を名乗ります。

 さて、道三が改名しなかった斎藤は、

 下剋上にピッタリの一族でした。


 1回目の下剋上


 斎藤宗円は美濃守護土岐持益の命令で

 守護代富島氏を殺害して美濃守護代となります。

 富島氏により暗殺される。


 2回目の下剋上


 斎藤宗円の子である斎藤利永が

 富島氏・長江氏を滅ぼして、

 主の土岐持益を隠居させて、

 尾張の一色家より土岐家へ養子として

 土岐成頼を守護に据えます。


 3回目の下剋上


 斎藤利永は病没。

 利永の弟である斎藤妙椿が台頭することとなる。

 斎藤利永の子である斎藤利藤は

 傀儡の守護代となります。

 斎藤妙椿は、是院家を名乗り、

 実力者として権力を掌握します。


 4回目の下剋上


 斎藤妙椿の後継者に、

 斎藤利藤の弟妙純を養子に迎え入れます。

 斎藤家は

 守護代と是院家(妙椿系)の2系統に分かれます。

 当然、兄弟ケンカが始まります。

 斎藤妙純は、美濃文明の乱、船田合戦で勝利して、

 下剋上を防ぎます。

 いろいろとそそのかした黒幕の近江六角氏を

 攻めますが、膠着状態となりました。

 斎藤妙純は、

 六角氏と和睦して、

 美濃に撤収する準備をします。

 ここで最大の下剋上が発生します。

 合戦により地元住民が長期に渡って

 迷惑を被っており、

 斎藤妙純に郷民や馬借らが

 怒り狂って襲い掛かることとなりました。

 斎藤妙純からすると、

 突如として、大群が押し寄せて、

 武器を奪われて成す術がありません。

 斎藤妙純の軍は皆殺しにされます。

 妙純の嫡男利親も戦死して、

 12月7日に是院家斎藤氏が

 実質消滅することになりました。

 斎藤妙純は、妙椿と同様に、

 尾張、越前、美濃で絶大な影響力を

 持っているにもかかわらず、

 名も無い事件で

 中部地方の権力者が消えます。

 勝利者は漠然とした「民一同」です。

 これにより権力の空白が生まれて、

 斎藤道三や織田信長が

 活躍できる隙が生まれました。

 斎藤妙純は斯波武衛家を

 分裂をさせています。

 斯波武衛家は

 尾張と越前を所領としているので

 美濃を囲んでいます。

 斯波武衛家は2方面から美濃を挟み撃ちが

 可能なのです。

 よって、

 まずは尾張を乱れさせます。

 織田伊勢守家と縁戚となり、

 織田大和家(信長所属)に

 圧力をかけます。

 越前朝倉氏には

 斯波武衛家からの独立を促した。

 その最中に、

 名も知れぬ大群に斎藤氏は潰えるのである。

 5回目の下剋上

 斎藤道三が実力者の消えた美濃を

 乗っ取りました。

 また、

 尾張では、斎藤妙純によって

 押さえつけられていた織田大和守家(信長側)も

 盛り返しました。
 

 さいごに

 斎藤妙純の佩刀は、

 徳川家康の愛刀

 「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」として

 東照宮に祀られています。

 

倭寇について

 日本だけでは、把握できないことも

 あります。

 倭寇です。

 倭寇は日本からすると

 非公式の集団なのであまり記載がありません。

 中国では、戚継光が「紀効新書」にて

 対日本刀の「竹やり狼筅」とかが

 考案されています。

 日本刀は切れ味がスゴイので

 槍の柄を切断できます。

 狼筅は、日本刀による柄の切断防止の為に、

 槍の柄(棒の部分)に

 竹の枝などを敢えてそのまま残して、

 切断する時に邪魔になるようにしています。

 ただし、そのような槍では重くなるのと

 空気の抵抗が大きいので速くは突けません。

 想像してみて下さい。

 竹の枝葉が付いたままの竹を

 振り回して戦うことは

 たいへんですよね。

 よって、集団の先頭で狼筅を並べて

 突撃の邪魔をする感じです。

 倭寇は日本刀を振り回して切りまくるという

 悪魔みたいな存在なのでしょう。

 外国から日本刀が恐れらていたなんて、

 国内情報だけならわかりません。

 片刃の両手持ち剣は、

 青龍刀みたいな分厚い剣か、

 ペルシャ系のフォルッシャン。

 海外は剣を打撃にも使います。

 日本刀を打撃に使うと

 折れます。

 他国の剣と異なり、

 刀身が細身であり、

 切ることに

 特化しています。

 ヤバいくらい切れるのです。

 ちなみに

 秀吉による朝鮮出兵では、

 朝鮮側で日本刀対策で狼筅を利用していますが、

 残念ながら、鉄砲隊の時代になっていますので

 狼筅では侵攻を防ぐことはできなかったと思います。

 再び室町時代に話を戻すと

 朝鮮半島に三浦という「長崎の出島」のような

 場所がありました。

 その三浦には、

 3105人も定住する日本人がいました。

 1510年に三浦の乱で消滅することになりますが、

 日本人は海外にも展開していました。

 室町時代の日本は鎖国をしている訳ではありません。